道元は、この巻で、かつて紹介した、南嶽と馬祖のエピソードをふたたび紹介している。
南嶽が、馬祖に、禅をしてなにを得ようとしているのか、と尋ねる。
馬祖は、作仏をしようとしている、と答える。作仏は、仏になろうとしている、というほどの意味だろう。
すると、南嶽は、瓦を磨ぎ始める。馬祖が、逆に、何をしようとしているかを尋ねる。
南嶽は、瓦を磨いて、鏡を作ろうとしているのだ、と答える。
馬祖は、瓦を磨いて鏡を作ることはできないのでは、と答えると、南嶽も、坐禅をすることで、仏にはなれない、とやりかえす。
道元は、よっぽど、この話が好きであったにつがいない。
しかし、南嶽は、決して、坐禅自体を、低く見ていたのではない、というのが、このエピソードのミソでもある。道元は、それを、実に長々と、この巻で解説している。
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