2013年8月24日土曜日

夢中説夢:仏は夢の中で悟りを得る

証中見証なるがゆえに、夢中説夢なり。

道元によれば、仏が悟りを得るのは、この世が現れる前の、夢を見ている時であるという。

徧界の弥露は夢なり。

夢の中で仏が悟りをえる。その悟りによって、現実の世界が出現する。

これは、まるで、世界創造神話のようだが、道元は、これは決して例えではない、と強く述べている。

身心学道:一見わかりやすそうだが・・・

仏道を学習するに、しばらくふたつあり。いわゆる心をもて学し、身をもて学するなり。

この道元の言葉は、一見、わかりやすそうに見える。しかし、

しばらく山河大地・日月星辰これ心なり。(中略)尽十方界是箇真実人体なり。

という別の言葉をみると、そもそも、心や身(体)という言葉の意味が、実に深い意味を持っていることがわかり、最初の言葉も、そんなに簡単でないことがわかる。

光明:この世界は言葉である

道元はこの巻で、招賢大師の言葉を紹介する。

全ての世界は、沙門の眼、全身、そして言葉であり、その光明である。

厳しい修行をし、悟りを得た僧侶にとっては、この世界が、完全に自分と一体化しているように感じられる、ということなのだろうか。

栢樹子:道元の言葉の変奏曲

趙州と、ある僧との、栢樹子をめぐる問答について、道元は、どちらの言っていることも、決して間違ってはいないという。

続いて、栢樹子が成仏する、という言葉をめぐり、道元は、独特の言い回しを使って、その言葉を、いろいろに解釈していく。

その文章は、まるで、元の言葉を、次々に別の調に変えていく、変奏曲のようだ。

ここでも、道元独特の、言語空間が、生み出されている。

栢樹子:趙州への尊敬の念

道元は、この巻の冒頭で、趙州という9世紀の高僧についてのエピソードを紹介している。

趙州は、60才になって、発心した、という珍しい経歴を持っている。その後は、ひたすら座禅を行っていた。

道元は、そうした趙州に対して、深い尊敬の念をもっていたようだ。