2013年7月6日土曜日

阿羅漢:仏法を学ぶ究極の姿

道元は、この巻において、阿羅漢という存在を、仏法を学ぶ究極の姿として、いろいろな経典から、釈迦などが阿羅漢について語った言葉を紹介している。

そこで語られているのは、俗世間や自己に捉われず、心を自由に保ち、ひたすら仏法を学ぶ、ひたむきな姿である。

それはまた、道元が、理想とする姿であったのだろう。

観音:観自在菩薩の本質

日本人に馴染みのある、観音様。観世音菩薩、観自在菩薩ともいう。

十二面観音、千手観音、など様々な観音様が存在し、数ある経典の中でもその表現は様々だが、道元は、この巻の中で、雲厳と道吾という二人の高僧の会話こそ、その観音の本質をもっともよく表しているという。

そこでは、十二とか、千とか、数字にこだわるのではなく、通身是手眼、であると語っている。

からだ中が手眼である、ということだろうか。